(MC原稿公開)動物の謝肉祭
- 金子咲良
- 3月23日
- 読了時間: 4分
(この公演は8年ぶりのFOJ(フォージェ)のコンサートでした。
フォージェのコンサートはプロの声優による語りと演奏のパフォーマンスにご好評いただいております。
このコンサートは一曲ずつの尺が長い為、パーソナルなお話や、みなさまへの問い掛けを通して会話をするようなMCをしております。) ♪動物の謝肉祭
・これから、語りと演奏によって皆様をより深く
音楽の世界にお連れしようと思います。
・みなさんはご自分の専門分野以外に、どんな分野の興味がありますか?
私はこの八年で古代文明の遺跡や語学にハマっていたのですが、
そんな私にとってサンサーンスは憧れの一人でもあるんです。
・動物の謝肉祭の作曲家サンサーンスも様々な分野に深い知見をもつ、大変博識な方でした。
数学や植物学、哲学、天文学などの分野でもその才能を開花させていました。
ベトナムやエジプトなどへの旅行を重ね、異文化や古代文明の興味への探求もしていますし、
現地のトカゲを捕まえて動きを一日中観察したり真似たりしていたそうです。
(サンサーンスは、アフリカにも旅行をしており、特にエジプトに訪れたことがよく知られています。サンサーンスは、1880年から1881年にかけてエジプトを訪れ、ここで彼の有名な作品『オリエンタルの幻想』や『アフリカの大地』をインスパイアする経験をしました。また、彼はエジプトの文化や風景に深い印象を受け、音楽にもその影響を反映させています。サンサーンスのエジプト滞在は、彼の作曲活動における重要な転機となりました。
時系列
1822年
フランス人学者ジャン=フランソワ・シャンポリオンがロゼッタ・ストーンを解読し、古代エジプトのヒエログリフ(象形文字)を理解する鍵を発見。これにより、エジプト学が本格的に発展。
1830年(頃)
フランスがエジプトとの外交的・文化的交流を深め、エジプトに対する西洋の興味が高まる。
1831年
ルクソールのオベリスクがエジプトのムハンマド・アリーによってフランスに贈られる。
オベリスクは1836年にパリのコンコルド広場に設置される。
1858年
サン=サーンスがパリ音楽院を卒業し、音楽家としての活動を本格化させる。
1860年代
フランスの考古学者オーギュスト・マリエットがエジプトで大規模な発掘活動を開始し、アビドスやメンフィスなどの主要なエジプト遺跡を発掘。
1869年
スエズ運河が完成し、エジプトがフランスやヨーロッパ諸国との結びつきを強化。この時期にエジプトへの関心がさらに高まる。
1886年
カミーユ・サン=サーンスが組曲「動物の謝肉祭」を作曲。
1890年代初頭
サン=サーンスがエジプト旅行に興味を持ち、毎年のように冬季を過ごすようになる。この時期に彼はエジプト文化や風景に魅了される。
1896年
サン=サーンスがエジプト旅行に影響を受け、ピアノ協奏曲第5番「エジプト風」を作曲。
)
・それだけ知的なサンサーンスですから、交友関係も広かったと言います。
・この「動物の謝肉祭」は 友人たちと冗談をかわすように、
独自の観察眼とユーモアで動物たちを描いています。
さらに、博識なサンサーンスならではの、鋭い社会的風刺や音楽的風刺が随所に盛り込まれています。
(サンサーンスは、当時の音楽界、特にモダン音楽や新しい音楽潮流に対する不満を抱いていたと言われています。『動物の謝肉祭』の中には、いくつかの曲でその風刺が見られます。例えば「化石」では、古い音楽や過去の作品を模倣することへの批判が込められており、曲の中で古典的なメロディが引用されることによって、過去の音楽を「化石化」したものとして描いています。「ピアニスト」では技術にばかりこだわる演奏家を茶化しています。
また、サンサーンスは、当時のフランス社会の風潮に対する皮肉も込めています。例えば「ライオン」は、王族や権力者を象徴し、その力強さと威厳を誇示する一方で、動物の力強さが無力に感じられるという風刺がなされています。
それぞれが特定の社会的役割やステレオタイプに当てはめられ、人間の傲慢さや滑稽さを映し出すものとされています。)
・想像を膨らませて、生き生きとした動物たちの様子を脳内に描きながらお楽しみください。
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